SVX日記

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2024-02-07(Wed) 原作のとおりという難しさ

  「姫様"拷問"の時間です」って、なんなんだ? 「暗殺教室」に負けない不穏なタイトルだな……と思って、期間限定公開されている原作のマンガを読んだら……そんなアプローチがあったとは。こういうナンセンスギャグ、好きなんだよなぁ。すっかり気に入ってアニメを観たら、コレがまた恐ろしくデキがいい。声優さんが熱演すぎるし、1話の最初と最後にソレをそう持ってくるとは。

  一方で「BASTARD!!」だ。2期がテレビでオンエアされると聞いて、初めて1期の後半をスルーしてしまっていたことに気づいたわ。原作がメチャクチャ好きなのに、デキが微妙であまり乗れなかったんだよな。で、2期の第1話を観たら……寝かけたよッ!! なんでだよッ!! 1期の1話の感想と全く同じだよ。原作の漫画を読み返すと、原作の方が圧倒的にグッとくるトコロまでッ!!

  軽く「原作のとおりに映像化」っていうけれど「BASTARD!!」は特段の改変もなく「原作のとおりに映像化」されている。でも、何だかわからないが全然ダメだ。一方で「姫様"拷問"の時間です」は、映像化で何倍も輝きを増しているのだ。この差はなんなんだ?

  考えてみれば簡単なことだ。うまく「翻案」するかどうかだ。いま「脚本家」が渦中にあるが(以下、この文章では原作の映像化に関するあらゆる関係者をまとめて「翻案家」と呼ぶ)、映像化で作品が輝くかどうかは「翻案家」の手腕がほぼすべてなのだ。まさに、上記の例で自分が実感したことだ。「翻案家」は実にスゴい仕事なのだ。「原作のとおりに映像化」なんて簡単に言うけれど、視聴者に「原作のとおりに映像化」だと感じさせるためには、恐ろしくスキルや工夫が必要なのだ。それはきっと並大抵のことではないのである。

  例の事件に関連して「ただ原作を脚本化する仕事は楽しくない。自分のオリジナリティを発揮するために原作を改変したくなるのだ」という発言を見かけたが、本当にそんなことを思っている翻案家がいるのだろうか? 上記の例のように、改変なんてしなくたって、オリジナリティを発揮する場所なんていくらでもあるように思えるのだ。例えが適切かはわからないが、ヴォーカリストはオリジナリティを発揮したいからといってメロディや歌詞を改変して歌ったりはしないだろう? 歌い方ひとつで、オリジナリティを発揮する場所なんていくらでもあるからだ。

  今回の事件では「原作の改変」に起因して原作者が自殺に至ってしまったとされているが、詳しい経緯について知りもせずに、脚本家の「9,10話を書いたのは私でなく原作者」というコメントが直接の引き金であるかのように語られている。自分はそれに強烈な違和感を感じるのだ。

  そこに至るまでにはいろいろあったのだろうけど、脚本家が言いたいのは「9,10話のデキが悪いのは私のせいではない」ということだろう? 9,10話のデキついて少なくない批判を受けたからで、それは脚本家から仕事をムリヤリに奪い取った原作者側が招いた結果だ。改めて考えれば原作者が脚本家にダメ出しして脚本を書くって、前代未聞ではないのか? 脚本家は猛烈に不快だっただろうことは想像に堅くない。それはやっていいことだったのだろうか? そこに至るまでにはいろいろあったのだろう。に、してもだ。

  「ハンロンの剃刀」という言葉がある。「無能で説明できることに悪意を見出すな」という意味だが、それは「悪い結果は悪意の結果と思いがちだ」という傾向の裏返しでもある。原作者としてドラマの出来に不満があったのはわかるが、もしかしたらそこに必要以上の悪意を見出したりしてはいなかったのだろうか。

  というのも、いくら他人の仕事がマズくても、それが自殺の引き金になるとは思えないんだよね。脚本家から仕事をムリヤリに奪い取ってまで書いた脚本だけど、それでも思ったような結果を残せなかったことの方が、はるかに大きなダメージを受けそうに思える。そりゃ、脚本家に任せていてもよい結果にはならなかったのかもしれないが、餅は餅屋。そこは立ち入るべきではない領域だったのではないだろうか。各々の領域のプロとして、リスペクトが不足していたのはお互い様だったのではないだろうか。

  自分は自宅を注文住宅として建てたが、刻一刻と進んでいく建築現場で「そこ違う!」ということが何度もあった。しかし、そう思った時点でそう仕上がってしまっているわけで、よほどでなければその修正は言い出せない。複数の人がスケジュールに従って動いていて、その成果物をどうこうするのは半端なく難しいのだ。今回、その結末から、原作者側に立った意見ばかりが溢れていて、そのほとんどは至極もっともな意見なのだけれど、翻案側の価値や立場をまったく考えないのも違うだろうと。

  つうか、それはそれとして、現在も進行形で松本ワールドをぶっ壊し続けている福井晴敏を誰か糾弾してくれッ!! アイツこそ、なんなんだよッ!! ……ほら、そこッ!! 無関係だと思っているガンダマーッ!! 彼奴がファーストのリメイクの脚本家になってから泣いてもしらんぞッ!!

  追記。なんだか出版社に問題があったという話になってきている。あー、そっちなのか。そっちもよくない話を漏れ聞くよなぁ。作家ファーストでない出版社なんて存在できないと思っていたが、なんか存在してそうな話だなぁ。まぁ、エンジニアファーストでない企業なんて普通に存在してるからなぁ。