SVX日記

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2021-03-17(Wed) シン・センミナイ・エヴァンゲリオン

  久々のエントリ。シン・エヴァンゲリオンについて。見返すと「序」は観てないけど「」も「Q」も劇場で観て、過去に感想を書いてるんだな。ちなみに、以下、明確なネタバレはしないつもりだが保証はしない。

  ネタバレを食らうのがイヤで、封切りから一週間後、月曜の21:50という上映回の4DX版を強襲してきた。しかし、一週間経っても、あまり顕著な情報が出ないので、モノスゴいデキということはないのだろうな、との予想はしていた。

  結論から言うと、予想通り。自分にはかなりイマイチだった。

  ここで、たぶん誰も書いていない見解をひとつ書こう。それは、劇中のアヤナミじゃないけれど「エヴァってなに?」っていうことだ。感想を述べるあなたにとって「エヴァってなに?」ということだ。何を期待しているのか、それを明らかにした上で感想を述べるべきじゃないか、ということだ。

  「めぞん一刻」という作品がある。あの作品は何かといえば、ギャグ漫画なのである。序盤は。登場するキャラクタは誰もそれなりに魅力的ではあるが、名前が数字であったり、思いつきのように後半に登場したり、それほど戦略性を持って配置されているわけではない。つまり、ギャグ漫画として、笑えるストーリを演出するための舞台装置に過ぎない。

  しかし、終局になって、五代くんと響子さんの間のアレコレが整理され始めると、自然に読者の興味は、ふたりが結ばれるか否か、に向くようになる。当時は読者と作者との間で情報の交流手段が少ない時代だが、それでも読者の期待が作者に伝わり、ギャグ漫画らしからぬ結末に至ったと想像する。つまり「めぞん一刻」はギャグ漫画からラブストーリに変化し、読者はラブストーリとしての結末に満足したのである。

  それではエヴァは何なのか。そりゃ間違いなくロボットアニメなのである。テレビシリーズは。確かに、登場するキャラクタは作り込んであるし、散りばめられた謎は興味を持続させるのに効果を発揮しているが、それはエヴァと使徒との戦いを演出するための舞台装置に過ぎないのである。主ではない。

  しかし、伝説の第弐拾伍話、最終話では、製作上の都合から、キャラクタの内面にフォーカスを移し、エヴァと使徒との決着を描くことから逃げた。そこから迷走が始まったのだ。つまり、エヴァは「単なるロボットアニメではない何か」を期待される存在に変化したのだ。

  じゃ、何に変化したのだろう。それが人によって違うのだから始末が悪い。しかし、どうやら一般的な期待は「キャラクタの内面の成長の結果」みたいに思える。ネット上には「それでよかった」みたいな感想が多い。えー、そうなの? それとも、それ以外を期待していた連中は、既に「Q」で見切りをつけてしまって、いなくなってしまったの?

  自分の期待は、あくまでロボットアニメとしてのエヴァなのである。だから、興奮の最高潮は、旧劇の弐号機による戦自の壊滅であり、エヴァ量産機の壊滅であり、エヴァ量産機の逆襲によりギタギタにされる弐号機なのである。いや、そもそも味方だったエヴァという概念が敵に回っただけで驚きなのに、度肝を抜く禍々しいデザイン、挙動……殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……スパアァアァッ! まったく見たことのない映像だ。思い返せば、旧劇の盛り上がりはそこまでなんだよな。そこからは、割と地味な展開。

  それが、感想を述べるあなたにとって「エヴァってなに?」という、自分の回答だ。で、その見地から、シン・エヴァンゲリオンを語るとどうなるかと言うと……全編、既視感しかない、ってことになる。

  序盤の8号機のバトルも、それほどの刺激はないし、それ以後もない。村のパートは退屈なだけだし、ヴンダーの艦隊戦なんて、誰が観たかったのか? その後のバトルも退屈なだけ。カッコ悪い弐号機と8号機による圧倒的な多数を振り回すだけの雑で緊張感のないバトルと、やはり緊張感のない初号機と13号機の楽屋落ち的なバトル。時間の無駄。

  その後は、ドブクサイテナガザルを食べたゲドウなゲンドウのユイユイ祭が始まるが、うん、知ってる。これも旧劇の時からなので驚きはない。ましてや、電車の中で語り合うのシーンなんて、胸焼けしかない。気づくと、赤い世界とつながりがないとしか思えない世界にワープしていて、適当につがいを組まされて大人になれてよかったね……って、これも、伝説の第弐拾伍話、最終話と何が違うんだ? 結局、みんなの期待は「伝説の第弐拾伍話、最終話」だったってこと? じゃ、何でその時には怒り出したんだよ……。そう考えると、既視感ばかりのこの作品、ネタバレなんてしようがないんじゃないか? いや、既視感ばかり、という記述がネタバレになるのか?

  というわけで、まとめると「ロボットアニメとしてのエヴァ」「まったく見たことのない映像」を期待した自分には、まったく退屈な内容でしかなく、全体としては好きな作品だっただけに、この結末にはガッカリです、が結論だ。改めて過去の自分の「」や「Q」の感想を見直しても一貫している。

  ちなみに、自分は「最終兵器彼女」という作品のラストに至って「ちせに装備された最終兵器について、なにひとつ明らかになっていない」と憤慨していた人を見たことがある。爆笑である。とはいえ、極端な例ではあるが、期待が違えば、評価も変わるっていう好例だと思う。

  別の例を挙げれば、推理小説と思って読み始めたら、最後、殺しの犯人はわからないまま、殺された両親の娘は結婚して幸せになったとさ、めでたし、みたいな。いやいやいや、ゴールはそこじゃねぇだろ、と。

  まぁ、初めてのルーブルは知らんが、最後のエヴァはなんてことはなかったわ。さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。


2021-03-18(Thu) シン・センミナイ・エヴァンゲリオン≡ε:‖

  昨日の続き。気づくと、結構、ネット上にネタバレ感想が増えてきていて、なるほどと思わせる内容もある。

  昨日は『感想を述べるあなたにとって「エヴァってなに?」ということだ。何を期待しているのか、それを明らかにした上で感想を述べるべきじゃないか』と書いたが、思いっきり「エヴァも使徒も舞台装置」と、自分と正反対の表明をした上で、絶賛している感想を見た。一方で「第11使徒はどうなってんだ!?」ってのも。まぁ、それはそれでいいんじゃないですかね。

  一方で「監督はエヴァに飽きてた」という意見には納得。いやもうこれがホントなんじゃないかな。間違いなく興行収入は得られるんだから、既存のピースを並べ替えるだけで、みんなが納得しそうなハッピーエンドで納得してもらおうかなと。「Q」みたいに奇をてらうと叩かれるし、「破」の王道っぽい展開はウケたんだから、君たちこんなのが見たかったんじゃないの? と。

  しかし、それにしても「村のパート」なんて延々と見せられて、みんなよく怒り出さないよね。しかも、手元のキャラクタを適当につがいにしただけなのに、そこに意味があると思えるのにも感心する。ぬぼーっとしたエンディング曲も適当に取って付けただけだし。

  何度か丁寧な仕事をして信頼を得れば、一度くらい適当な仕事をしても、そこに意味を見出されてしまう、という状態なのではないか。つまり「監督はエヴァに飽きてた」んだな、と思える。

  そういえば、このSVX日記を始める前にもエヴァの感想を書いた気がするな、と思ってサーバを漁ると、なんと1999年1月20日に書いた感想が出てきた。旧劇の上映後の1年半後くらいか。

あるところに「スッゲェうまいラーメン屋」があったそうな。
<中略>
ところが、この店主がまた変わり者で、ある日突然このラーメン屋をたたんでしまった。
しかし、文句を言おうにも当の店主には二度とラーメンなど作る気などなく、
すでにぜんぜん別の事業に着手してしまっているのだ。
ラーメン作れと強要するわけにもいかない。あきらめるしかない。
ところが、映画で真実が明かされても、まだ文句を付けていた人がいた。
<中略>
しかし、文句を言おうにも当の監督にとっては完全に終わった話で、
すでにぜんぜん別の作品に着手してしまっているのだ。
作りなおせと強要するわけにもいかない。あきらめるしかない。
全部付き合ってしまった時点で、何をいっても監督の勝ち。

  まったくその通りですなw。