SVX日記
2004-07-26(Mon) 次のマイルストーン
はぁ〜、あづい。CPUと同じで、暑いと脳ミソのクロックも下がりまくりなのである。だらだらとテレビを観てすごしてしまい、ちっとも作業に取りかかれない。なにかしら作ってないと手もちぶさたになってしまう性分なんで、どうにも落ち着かないのだが、とはいえ暑いとどーにもダメなのである。
しかも、車載PCプロジェクトがヘンに一段落してしまった。トランク内の電気の来てない電源ラインの調査は、当分できそうにないし。ここは、一発、日記に今後の構想を一部ブチ上げて、自らを追い込まないといかん。
- PCからのシリアル出力により、20x4のキャラクタディスプレイに情報を表示
- 表示する情報は、演奏中の曲名など(ナビ関連は……どうしようもないか?)
- デジタル電圧計の機能、デジタル温度計機能、赤外線入力機能も持たせる
などを考えている。
- PICマイコン制御による、キャラクタディスプレイへの文字列出力
- PICマイコン制御による、シリアル入出力
- PICマイコン制御による、赤外線入出力
は個々に実現しているので、基本的には組み合わせになるのだが。
ちなみに今日は「漢字かな交じり文のキャラクタディスプレイへの変換ライブラリ」をちょっと書いてみた。ChaSenという漢字カナ混じり文をカタカナ化してくれるツールをベースに、その出力を半角カナに変換するライブラリをRubyで書いたのである。キャラクタディスプレイには漢字表示ができないので、必要なライブラリなのである。
2009-07-26(Sun) 10年ぶりなのに2日遅れ
10年も間が空いているんだから、2日がなんだ、という見方もできるが、神林作品としても久々の新作だ。Amazonめ、ちょっと待ち遠しかったぞ。「アンブロークンアロー」。これだけは、相手がハードカバーであろうが、躊躇なく購入な私である。
んがしかし、待った割には、チビチビと読み進める私でもある。いやなに、読もうと思えば、SFマガジンでリアルタイムに追えたわけだし、事実、どこかの1話は仕事で出張した際の空き時間に三田の図書館で既読であるし、これは「グッドラック」の時の状況に極めて似ているが。
というわけで、虎の子が届いたにも関わらず、ガキとダイソーに買い物に行って、市民プールというよりも庶民プールに連れて行って、喫茶店でソフトクリーム食わせて帰ってきてから、寝る前に少し読む。うーむ、グッドラックの冒頭に極めてデジャヴ。リン・ジャクスンから始まり「あれだけ盛り上げた前作のラスト」なのに、これ以上ないくらい「サラッ」と受け継ぐ。うふふふふ、大事に読もう。
ついでに買った「我が闘争」のマンガ版。別に「ヘルシング」を読了したからというワケではなく、昔から読んで「感化」されてみたかったものの、原文の翻訳ではちょっと敷居が高く、ここにきて手を出したもの。なるほど、マンガ版を読んだ限りだが、純粋な思想書ではなく、ヒトラー半生の自伝だったのか。しかし、やはりというか、こういう「原典」を読むことは水平思考の幅を広げるなぁ。いやなに「ヘルシング」もそうだし、先日、ようやくOAV版の本編を制覇した「銀河英雄伝説」にもこの作品を下敷きにした部分があることに気づくことができたので。
2022-07-26(Tue) 法律くん大好き!
先日「行動制限なく『判断難しい』」というニュースエントリを目にした。なんでも「(コロナで)緊急事態宣言が発令された昨夏とは異なり、今年は今のところ行動制限がないため『判断を委ねられて難しい』」んだそうだ。なんつうか、片や「政府のお願いだから強制力はない」なんていいながら、イザ「お願い」がなかったら、決めてもらえなかったら、どうしていいかわからないとか、日本国国民の主体性のなさには呆れ果てる。
別視点だが、最近、話題になっているのが「車に乗っていて、横断歩道で歩行者に譲られたら」という内容だ。なんでも、違反として取り締まられたケースがあるという。理由は「法律がそうなっているから」だそうだ。本気で、頭、大丈夫なのか。
日本人は、ホントに法律が好きだ。なにか問題が起きると、すぐに法に照らして判断しようとし、訴えるとか言い出す。もしかするとその原因は、テレビ番組の「バラエティー生活笑百科」にあったのかもしれない。微妙に判断に迷うケースを持ち出してきては、最後は弁護士が一刀両断して答えを出してしまう。面白いといえば面白いのだが、そんなバカなというケースも少なくない。
ネット記事もこの流れを汲むものがある。「バイクで走行中のヘルメット、あご紐をしてなかったら違反になる?」の答えが「あご紐の装備があるヘルメットを着用する義務はあるが『あご紐をしめて着用しなければならない』とは明記されていない」だそうだ。あのさ、ヘルメットする意味ってわかってる?
そもそも、法律や規則なんてなしに解決に至ればそっちのほうがいい。自分が気に食わないことがあると、必死で関連する法律を探し出そうとする人をよく見るが、法律や規則なんて少ないほうがいいことに気づかないのか。
とはいえ、もしかしたら狂っているのは自分の方かもしれない、などとも思っていたのだが、先日、試し読みで読んだマンガ「エチカの時間」に、スッキリする記述を見つけた。「エチカ(Ethica)」とは「倫理学」のことだ。記述を引用すると。
車を止めれば無駄なエネルギが必要になるし、車に比べて歩行者は小さく目立たないし、夜に光るライトも、進行方向を予告するウインカもないし、対向車線の車の挙動まで考慮に入れたら、車を止める判断は無理ゲーレベルだ。歩行者側が車を認知する方がよほど容易だが、もしかしたら止まらないという緊張感は捨てられないし、捨てるべきでもない。だったら、歩行者を確認しつつも止まらずに通り過ぎたほうが、互いに安心して通行できるし、時間のロスもない。「横断歩道で歩行者に譲る」って規則考えたヤツって、バカじゃないの? というか、そこまで深く考えた規則じゃないのだろう。しかし、そもそも長らく眠っていたその規則を、誰かが掘り返してきたのをいいことに、オトリを使って取り締りしている警察って、自分の心に照らして恥ずかしくはないの? ねぇ? ねぇ?
■ とおりすがり [先日の地図はこれにつながっているのでしょうか?]
■ フルタニアン(管理者) [いえ。先日の地図は、あくまで天浜線を楽しむためのものです。誠にドアホウなことに、乗車直前に、友人の車に置き忘れてしま..]