SVX日記

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2005-02-11(Fri) 死蔵されるメディアは老後の愉しみとなりうるか

  なんだか、冷蔵庫や扇風機にされたりした画面写真を撮るうちに、PSのアドベンチャーゲーム「クーロンズゲート(九龍風水傳)」をやり始めてしまった。このゲーム、人によっては「単なるフラグ立てゲーじゃん」と軽くあしらうだろうが、オイラはこの異様な世界を十分に楽めた側の人間だ。このセンス、かなりナカナカであると思う。以前にオイラが香港に旅行したときは、九龍城砦跡や重慶大厦を表敬訪問したほどだ。

  画像の説明

  しかしながらこのゲームは長い。非常に非情なまでの力作である。自力でエンディングを観たあと、さらに雰囲気に浸りたくて購入した攻略本を片手に最短距離を進んでも、かなり長い。だからこのゲームの再プレイは老後の愉しみに取っておくつもりだった。だが、それを引っ張り出してきてしまったのだ。うぅむ、パンドラの箱を開けた気分だ。イカン、イカンよ。

  このように、エンディングまで到達して十分に楽しめたゲームに限らず、最後まで読み終わって感動した小説、最後まで観終わって心に残った映画など、そういうモノはメディアとして手元に残しておきたいものである。しかし、それを再び味わうことができるかといえば、これはなかなか難しい問題である。

  ゲームにしろ小説、映画にせよ、再体験するためには確実にある一定の時間が必要となる。そして多忙な日常の中でその時間を捻出することは難しい。しかも、相手は一度は経験したメディアである。概ね中身がわかっているからこそ、敢えてもう一度、最初から始めようという気にはなかなかならない。結局、そう場所を取らないコトもあって、メディアは死蔵されるべくして、死蔵されるのである。そして、アパートの床は抜け、トランクルームという名の道端のコンテナは増殖するのだ。

  この「老後の愉しみ」とは、いわばメディアを捨てられない口実ではあるのだが、実際に老後の楽しみにすることは可能なのだろうか。現在、そのような老後を過ごしている人はホントにいるのであろうか? オイラがその歳になったとき、同じように再体験し、感じ、味わうコトはできるのだろうか? そもそも、そのメディアは生き残っているのだろうか?

  とかく疑問は尽きないが、オイラが勝手に心の師と仰ぐ、故・祝一平氏はZ80アセンブラプログラミングを老後の愉しみにすると宣言していた。不幸にして彼は老後を愉しむコトができなかったが、オイラはそれを代わりに実践するつもりでいる。その筋は永遠に不滅なのである。

  さてそんなコトに思索を巡らしつつ、またもやPCB-CADであるEAGLEをイジる。でもって、例のlivconvall.ulpに更に不具合発見である。CadSoftから落としてきたFT232BMのライブラリファイルを変換していると、ピンピーンとWindowsが警告を表すビープ音を鳴らしているのに気づいてしまったのだ。今までは音声をミュートしていたのでまったく気づかなかったのである。

  音声をミュートに設定したら自動的にビジュアルベルを有効にしとかんかいッ!! とか言いたい気もするが、今日のところはさておき、なんにせよ変換がうまくいっていないコトは明らかな模様。今度の理由はなんじゃ? やっぱり再び悪いクセが出て、本業を横に置いて、環境構築にイソしんでしまうオイラである。

  結局、特定のシルクのレイヤをONにすると、自動的にONになってしまう別レイヤがあり、そこにパーツがピッタリ重なっていると変換が行われないらしいことがわかった。うーむ、このulpというスクリプトシステム、とてもすばらしいとは思うのだが、ちょっと言語の使い勝手が悪いな。まぁ、仕方ない。とりあえず再び修正版のlivconvall.ulplivconv.ulpをまにょまにょと置いておこう。まにょまにょっと。